ちょっと表現が正確ではない。そういう現象が起きてしまう。というほうがしっくり来る。

治療する時、患者さんと向かい合っている時、話を聞いている時、触診している時などフッと相手の情報がこちらに入り込んでくる感覚がある。この時に「あっ!」と分かってしまうのだ。

ただし、文章を読むように明確ではない、フワフワとした透明感があるような、言ってみればそれは雲みたいな感じで、それが頭の中?で弱めに言語化されてくる時もあれば、グっとちょっと強めに明確に例えて言えば胸を押されているように感じる時もある。

これは個人的感覚なので、文章で他人に伝えることができない。だからどうしても比喩的になってしまう。

そういえば気功も仙道も古神道も仏教も比喩的表現を使っている場合が多い。あの比喩的表現を現実を伝えているものとして読むと解釈を誤る。比喩的表現を理解するためにはそれなりの体験が必要なのだ。誤解を招く表現になってしまうが、「神秘体験」もしくは「不思議体験」やこれらに類する体験をして、それを素直に受け入れる人間的素地がないと、単に「オカルト的」だとか「宗教」だとか、幼稚な解釈しかできない。

そのような体験もなく、あってもそれを認めなず、字面を追っているインテリには分かるまい。

話はそれたが、科学的とか医学的とかという狭い世界観では到底計り知れない超感覚的世界があるのだ。

共感共鳴現象は気功や私はやっていないがヨガとか、そのような修練でこの能力・感覚は高まってくる。しかし、人間や生き物には普段、意識していなくてももともと備わっている感覚なのだ。

この感覚、能力は治療家には欠かせない。これは生命線であるとも思っている。そのために気功、瞑想、呼吸法などの修練を日々行うのだが、これは患者さんの痛みを被ってしまうという側面もある。だから、たくさんの治療をしていると自分の心や体の悪化を招いてしまうのだ。

直接患者さんに長時間触れることにより、共感共鳴現象により、エネルギー交換が起こる。

だから我々治療家は、健康やエネルギー、心、意識、想念など一般人以上に深く、広く理解し、それらを常に正常に保つ修練が必要になる。そうでなければ自分が危ないからだ。

そのような良い面と悪い面がコインの裏表のようにあるが、正しい知識と実践があればこれは非常に便利なものとなる。何が正しいか?は自分の体を人体実験に使って、試行錯誤していればわかってくる。私もずっとそうやってきた。